ミチノ・パリに活きるYASU MICHINOの哲学

2014年にパリで誕生したレザーグッズブランド「ミチノ・パリ」。シンプルながら隅々まで計算し尽くされたデザイン、最上級の素材を活かしきる卓越したクラフツマンシップ。これらを総合的にプロデュースするのが、創業者兼デザイナーであるYasu Michinoだ。20年以上、数々のラグジュアリーメゾンでデザイナーを務め、パリを拠点にファッション界をリードしてきたYasu。彼のデザインセンスはどこから生まれてきたのか、そして自身初のブランドとなる「ミチノ・パリ」にかける想いとは何か。ミチノ・パリの作品を生み出すYasuの原点を、様々な角度から紐解いてゆく。第一弾となる今回は、Yasuの人生経験からみるメンタリティー、独自の人生哲学に焦点をあててみよう。

1982年東京生まれ。

中国、香港で育ち、13歳の時に全寮制の学校に進学するため単身渡米。NYU(ニューヨーク大学)で美術史とフランス文学を専攻する。卒業後2003年に渡仏、パリのストゥディオ・ベルソーでファッションデザインを学ぶ。「サンローラン」や「ジバンシィ」、「デルヴォー」などでデザイナーとしての経験を積み、2014年、パリを拠点に「ミチノ・パリ」を設立。

 

大手商社に勤める父親と英語教師の母親との間に生まれたYasu。日本人でありながら、父親の仕事の影響で1歳になる前から海外生活を初めることとなる。高校でニューヨークにある日本人学校へ行くまでは、ほとんど英語を主体とする生活を送っていた。

 

「高校で初めて日本人ばかりの学校生活に触れて、難しいなと思いました。日本語ができないというのもあってイジメもあったし、僕は集団行動が苦手だったけれど、集団の一部で活躍できないとダメだという雰囲気がありました。」

 

日本人でありながら幼少時から海外生活を送ってきたことで、日本語の習得や日本人学校での生活に苦労したYasuだったが、そこから学ぶこともあったという。

 

「決まって誰かが声をかけてくれていたし、一人ではなかった。大変だったけれど、今考えると人間関係を学ぶには良い経験でした。」

 

こうして日本人学校での生活を送っていたYasuだったが、ある疑問と共に大きな転機を迎えることとなる。

 

「高校を卒業したら、皆当たり前のように日本の提携大学へ進学するという流れだったのですが、僕はエスカレーター式に進学することへの疑問を感じていました。皆と同じ決められた道ではなく、夢の実現に向けた具体的な道に進みたいと思ったんです。」

 

高校時代には既にファッションデザイナーの仕事に進みたいと考えていたYasuは、この頃から、世界で活躍するデザイナー達はどのような道筋を経てキャリアを積み上げてきたのかということを研究していた。

 

「単に学歴を得るだけではなく、自分の夢に一番適している道をどう選ぶか。そう考えたとき、今の高校を辞めて別の学校へ転入する必要があると思ったのです。」

 

そこで、内緒で希望の高校を受験し、合格を携えて両親を説得した。

 

「両親は怒るでもなく、自分で選んだ道だから大切にしなさいとだけ言ってくれました。この時はじめて、自分の中で将来に対する責任感が生まれたのだと思います。」

 

親に引かれたレールを歩んできたYasuだったが、自分は何をしたいのか、そのためには何をすべきなのか、初めて自分自身と向き合った高校時代。

 

そこからNYUを目指し、入学後は多くのファッションデザイナーたちに倣い美術史を学んだ。更に、ファッションの本場であるパリに渡るため、仏文とのダブルメジャーで卒業を果たす。

 

大きな夢を実現するためには何が必要で、今何をやっておくべきか、その段取りこそが大事だ。それを自分で決めてゆくことで、夢を夢物語では終わらせない “責任感” が芽生えるのだとYasuはいう。

 

▪️ファッションへの情熱と、その原点

 

「父親の仕事の関係で、最初に住んだ海外は北京でした。80年代の中国は本当にモノが無くて、人々も皆同じような人民服を着て生活していました。だから、家族旅行で初めてパリを訪れたとき衝撃を受けたんです。人々のファッション全てに色彩が溢れていて・・・その時に僕の中で、色彩=豊かさというのがリンクしたんです。」

 

貧しかった中国のモノトーンな生活に対し、パリで見た色彩溢れるファッション。それ以来、Yasuにとってファッションは豊かさの象徴となり、その後の人生をかけて情熱を傾けるものとなった。

 

▪️ “欲望と満足の間にこそ、創造力が育つ”

 

欲しいものをすぐに手に入れられる境遇にあれば、それ以上創造力は育たない。Yasuは、手に入れられないものがあるからこそ、どうやってその欲望を満たすか、いかにして無いものをあるようにするか、その工夫にこそクリエイティビティが存在するのだと強調する。

 

「北京にいた頃はモノが無く、パリに住んだ頃はお金が無くて、自分の思い描くファッションや素材合わせをすることがなかなかできませんでした。北京では子供ながらにおもちゃを服にくっつけてみたり、パリでは古着屋以下の激安店で色んなアイテムを買い、それを創意工夫して合わせていました。今思えば、この経験があったからこそデザイナーになるメンタリティが育まれた気がします。」

 

欲望と満足の間を工夫で埋める。その作業にこそ、創造力が培われるのではないだろうか。

 

 

▪️小さな努力が実を結ぶ、その秘訣は “現状に満足しないこと”

 

Yasuは、少年時代から今に至るまで、常にキャッチアップのための努力を続けてきた人生だったと振り返る。

 

「13歳でアメリカの高校に入学したとき、北京で暮らしてきた自分には経験の無いことが多すぎて恥ずかしかった。パリに渡ってファッション学校へ入学した時も、知らないことばかりで皆についていくのが大変でした。常にハンディキャップを克服しようと人一倍努力し続けてきたんです。ところが、そうして今気付くのは、必死で追いつこうとしてきたレベルがいつの間にか後ろに感じるということです。」

 

追いつこうとコツコツ続けた努力が、いつしか大きな力となって身についていた。

 

「毎日のルーティンや学び、その小さな一歩一歩を続けることが大事。現状に満足してしまわないこと、そして継続的な努力の尊さを今になって実感しています。」

 

▪️成功の鍵は “自分に合ったものを見つけられるかどうか”

 

こうしてデザイナーとしての道を歩み始めたYasuは、20年を経て世界的なトップメゾンのデザイナーを歴任し、既に社会的に成功を納めてきた。しかし、その姿勢は驚くほどに謙虚だ。

 

「僕は自分が特別だとは思っていません。皆と同じなんです。ただ一つ何かがあるとすれば、自分にピッタリ合ったものを見つけられたということ。そして、それを極めるための努力を続けられたということです。」

 

人は誰しも、好きなもの、得意なものを鍛錬すれば成功に近付くことができる。ただし、そういったものを見つけられる人は少ない。自分にピタリと合ったものを見つけるためには、様々なことに挑戦し、成功と失敗を繰り返すトライ&エラーが必要だ。そして、これだと思ったものを追及し、努力と鍛錬を継続できた者だけが次なる境地に進むことができる。常に好奇心と探求心を持ち、継続的な努力を惜しまない、それこそが成功への道筋なのかもしれない。

 

 

▪️良いものを生み出すために心掛けていること

ストレスを抱えていたり、心身が不安定な時には良いものは生まれてこない。Yasuは、まず自分が幸せで健やかにいること、それが良いものを作り出す条件だという。

 

「幸せって何なのか。高価なものを身に着けてラグジュアリーな生活を送る、そういった金銭的な豊かさも一つかもしれませんが、少なくとも僕は、幸せとは物やお金ではなく心身の余裕だと思っています。」

 

では、幸せでいるためにどのようなことを心掛けているのか

 

「毎日のルーティンを崩さないということ。僕の場合は、朝は必ず6時頃に起き、お茶を作って読書をします。その後ジムでの運動を終えるまでは、スマホも見ないようにしています。」

 

どのような一日のスタートをきるかは重要だ。朝のルーティンをこなすことで、オフィスに着いた時には既に何かをやり遂げた達成感を感じ、心が整うという。

 

「自分の身体を健やかに保つということも、ハッピーでいるためには重要です。その意味でも最近は飲食に気を付けています。鞄作りでは革の産地にまで気を使っているのに、食べ物はどんなものでも良いなんておかしいんじゃないかと。お酒を控えたり、食材がどこから来たものなのかに注目する。特に肉については安心できる産地のものだけを摂るようになりました。そのせいか、身体か軽くて調子が良い気がしています。」

 

ミチノのグッズは、華美な特別感ではないけれど、毎日飽きずに使うことができるシンプルな美しさと、つい手に取りたくなる上質な機能美が備わっている。それを持つことで、使う人の毎日をさり気なく彩ることができる。

 

特別なことではない、シンプルだけれど丁寧な毎日の積み重ねが自分を整え、それが幸せに繋がる。この考えはミチノ・パリのグッズにも生かされているのではないだろうか。

 

▪️「ミチノ・パリ」は本当の自分に向き合うブランド

 

フリーランスとして数々のラグジュアリーブランドのスタイルに合わせ、歴史に残るデザインを生み出してきたYasu。それはクライアントのニーズを微細に察知し、求めるものを作り上げる高度なセンスと技術を要する。と同時に、自分自身の趣向やスタイルを最優先にはできないということを意味する。

 

「これまでは、フリーランスとして同時にいくつの仕事をこなし、どれだけ沢山のデッサンができるか、どれだけのスタイルに合わせられるか、という数字的な勝負をしてきました。そして、サンローランやデルヴォー、カルティエなど有名なブランドの名前の下に評価されている自分がありました。じゃあ、自分の感性だけでブランドをやった時に一体どのように評価されるのか。Yasu Michinoという一人のデザイナーとして何ができるのか。今は、ミチノ・パリを通して本当の自分を見つめる時間を持つようになってきています。」

 

▪ “自分らしさ” の定義

ブランドを率いるクリエイティブディレクターにとって、ブランドを通して何を表現するのか、自分らしさとは何かということは大きな課題だ。

 

「デザイナーって、常に価値観を試される職業なんです。僕は、皆と同じことをしなければならないと思っていません。周りに振り回されず、自分の軸で思ったことをやる。例えば、世間で流行っているトレンドを察知してそれをとり入れるのも良いのですが、そればかりではない。自分のインスピレーションや価値観を軸にして、エレガンスの概念であったり、機能性であったり、そういったものを表現したい。それが僕の考える自分らしさなのかもしれません。」

 

▪️ミチノ・パリに活きるYasuの人生哲学

 

今回は、ブランドの世界観を創り上げるYasu Michino自身が、どのような経験をし、何を考えてきたのかに焦点を当ててみた。常に創造力と感性を磨き、謙虚な努力を惜しまないYasuのメンタリティー。ミチノ・パリには、Yasuが人生で培ってきた哲学が詰まっている。次回は、ミチノ・パリのレザーグッズに活かされるエレガンスと機能性、その概念に迫る。

 

取材・記事 藤井麻未